デミセクシャルとは?多様な「性的魅力」の感じ方
アセクシャル(Ace)とは「他者に性的魅力を感じない人」のことですが、典型的なアセクシャルとマジョリティの間には中間の様々な性的指向が存在します。それらの総称を「Aceスペクトラム」と言います。
そうしたAceスペクトラムの一つで比較的有名なのが「デミセクシャル」です。デミセクシャルはアリクワセクシャルの一種で、一般に「深い感情的なつながりを感じた人にのみ、性的に惹かれることがある性的指向」であるとされています。
これはデミセクシャルの旗です。色合いについてはアセクシャルの旗に似ていますが、三角と細い横棒が特徴です。
三角形は性的惹かれの出発点(深い感情的なつながり)を表しています。
このデミセクシャルについて、多くの人が感じることは「え?それって、マジョリティと何が違うの?」ということだろうと思います。ネットニュースでも次のような記事がありました。
だが、これは極めて“普通”ではないだろうか? むしろ、とっかえひっかえ誰とでも寝るような人物の方が“異常”であり、社会的には愛情と性的欲求は重ねあうべきだと思われているのではないだろうか? 一体、デミセクシャルのどこが“普通”ではないのだろうか?
(中略)一見して、“普通”とされているヘテロセクシャル(異性愛)とデミセクシャルは変わらないように見えてしまうが、会った人と誰でも寝ることは嫌いだが、性欲が生じることもある(普通)と、会った人と誰でも寝ることは嫌いであるのは性欲が湧かないから(デミセクシャル)というように、根底にあるものは全く別物だということだ。そして、この見かけ上の類似がデミセクシャルの人々を苦しめることにもなっている。
もっともこの記事では「性欲=性的指向」という風に記していますが、性欲と性的魅力を感じるかは、厳密には違います。
例えば、多くの男性は朝起きると勃起します。これはもっぱら不随意の単なる生理現象であって、誰かに性的に惹かれているからでは、ありません。「性的に惹かれる=性欲」という定義は、一部のアセクシャル当事者の自認を妨害することにもなるので、注意が必要です。
これについて比較的判りやすい説明は、『見えない性的指向アセクシュアルのすべて』(明石書店)で行われている「第一次性的魅力」と「第二次性的魅力」とを区別した説明です。
その人がどんな人かわからなくても、肉体的な情報だけで、とっさにその人に性的魅力を感じる人もいるでしょう。相手の外見、声、(相性がよさそうかどうかという)雰囲気、カリスマ性といったことを、第一次性的魅力といっています。セックスパートナーとしてよさそうだと思ったり、肉体的や精神的な性的反応も起こるかもしれません。でもだからといって、必ずしも大急ぎでホテルに行ってその人とセックスをしたいというわけではありません。見知らぬ人に対しても性的な反応をすることができるし、性的に見ることができるということなのです。
第二次性的魅力は、本質的には「違う種類の」性的魅力ではありませんが、もっと段階的なもので、違う状況下でも起こります。気持ちのつながりができてから(それが愛でなくても)、相手がセクシーに見え始めるというように、第一印象だけではわからない、相手と関りを持って初めてわかることに基づいたものなのです。第一次性的魅力と一緒に起きたり、組み合わさったり、強化しあったりすることもあるでしょう。一方で、興味が反射的に起こるのではなく、ゆっくりとしか起こらない人もいます。第一次性的魅力を感じたり、突然、性的に惹かれたりすることがないので、知らない人や初めての人やスターなどに魅力を感じることができません。このように、相手と親しくならなくては性的魅力を感じることができない人は、自分をデミセクシュアルと呼んでいます。(ジュリー・ソンドラ・デッカー『見えない性的指向アセクシュアルのすべて』明石書店、67頁)
このように、親しくなった人にだけ「第二次性的魅力」を感じるのがデミセクシャルです。
一見、マジョリティと似ているようではありますが、例えばマジョリティの人が会ったこともないグラビアアイドルを「セクシー」だと認識するのに対して、デミセクシャルの人たちはアセクシャルの人たちと同様、そのような第一次性的魅力を感じません。なので、デミセクシャルとアセクシャルの区別が付きにくいこともあります。
性的指向についてはプライベートにも関係することなので、本人でも自認を巧く説明できないことがあります。なのでこの記事の説明も完全に正確とは言い難いものですが、このような人たちもいるということを知っていただけると幸いです。
(文責・日野)
0コメント